教えることについて

塾というものは、勉強を教えてナンボの世界。

先生にやり方を聞いて、問題の解き方を教わっていく。
僕も以前は、分かりやすい授業にこだわって研究を続け、独自の、誰にも負けない授業を作り出し、それを武器に何十年もやってきた。とても楽しかった。

大手塾の講師時代は、分かりやすい授業No1になったり、いろいろなところで授業を評価されたりもした。僕の授業を分かりやすいと今も絶賛する生徒も多い。
とても楽しかった。

しかし、僕は、いつしか「授業」を止めてしまった。

それは、僕がどんなに上手く授業をやっても、生徒の成績が上がるのとは関係ないと分かったから。

むしろ生徒の成長を邪魔している、いい授業をすればするほど、生徒は堕落していく。

大変な間違いに”気づいた”ということだ。

未だに、「分かりやすい授業をやれば生徒の成績を伸ばせる」と、信じている講師はけっこう多い。塾に子供を入れる親もそうかもしれない。

カッコよく教えている講師の姿などを一般の方が見たら、あ、この先生に教わったら出来るようになるかもしれない! って多くの人が思ってしまうかもしれない。。

いい授業をやって嬉しいのは誰?楽しいのは? ー そう、教える講師と経営者だけ。
塾に来て、学力を上げ幸せにならなければならないのは、紛れも無く「子供たち」の方なのだ。
こちらが、上手く教えたかどうかではなく、生徒が満足し内容を習得できたかどうかだ。

そして、「分かる授業」には、ひとつ大きな盲点がある。
授業が分かるので、分かってなくても、分かった気になってしまうことだ。

そして、生徒たちは定着への演習を怠り、結局定着しない、そしてやっぱりわからない。

ところで、今の時代、勉強するツールはどこにも転がっている。
簡単に言えば、わざわざ、塾が良い授業などしなくても、自宅で、ネット検索などして、ある程度の授業など、すぐに見れるのが今の時代なのだ。

授業というエンターテイメント的パフォーマンスを楽しく観るのであれば、それもいいが、真の学びは、そういうところには無いと私は痛切に思う。

学び方は常に、生徒自身の中にあって、その意識をどのように引き出していくかは、生徒ひとりひとり、まったく方法が違う。そして、それを僕達が引き出すことが出来れば、それは最高の学習のアシストになるのだと思う。

僕が指導してきた、生徒の多く(特にKJ-ADのほどんど)は、遠距離にも関わらず、特殊コーチングによって意識を大きく変えてきた、これから僕がすることはこれです。

要するに、僕は上辺の勉強法などでなく、子供たちの”意識”を、根本的に変えてしまいたいだけ。勉強する、しない、とか、モチベーションとか、やる気スイッチとか、そんなもの、一切関係ない。

今は眠っていても、自分で考え自ら行動出来る、やらされでない意識を育て、すぐに活躍出来る子どもたちを、次々に目覚めさせ、具体的に育てていきたい。

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