恐怖の合格パーティーそして西日本ツアー
それは、3/11に、突然起きた。
その日は、霞ヶ浦教室の合格パーティーだった。
「イェー、おめでとうーー!!」
と1年間頑張ってきた生徒たちをたたえながら、幸せなパーティーは過ぎていった。3時過ぎた頃、いきなり、ブルドーザーに、かきまわされるような、地響きと揺れを感じ、「これは、ただの地震ではない・・」ということは、動物的なカンですぐにわかった。
その後の7日間は、ライフラインは整ってきたものの自宅には戻れず、古代のような”その日のくらし”を考える生活になった。これはとてもいい経験になった。
僕たち人間は、かなりバカだ。このような、教訓や試練を天から受けても、また時が経てば、自分たちの横暴さを忘れていってしまう・・
でも、今回こそ戒めが必要だ。
僕と家族は運良く、生徒の親御様の、ありがたい差し入れなどに助けられながら、何とかしのいでいた。
その時点で、僕は、もう「決心」していた。
行動に、迷いはない。
茨城空港という、僕にとって最高の移動手段に感謝しつつ、神戸までGO。
たった1時間で、神戸に着くと、世界は違っていた。
水がある。電気がつく。食べ物がある。
天国だ、楽園だ。
来てから数日、それまで風呂も入れなかった生活をして、疲れていた心も癒され、徐々に活気を取り戻してきた。
茨城で待つ塾生たちへ、メールを書いて送る。
ゲキを飛ばしながらも心配はつのる。
「きちんと授業が受けれるだろうか?」
「しっかり自学が出来るだろうか?」
子供たちを思う心配事はいつも尽きない。
毎日、塾生に数時間かけて文章を作り、
それをもとにメールを送り続けた。
神戸→大阪→鹿児島→姫路→京都→名古屋→茨城
と、18日〜30日までの関西ツアーが進んでいく。
時には、昼間ずっとホテルにいて、塾生への文章
を書くことに専念したこともあった。
数日すると、僕の送るメールに、お父さんお母さんの反応も
変わってきたのだ。
わざわざ返信を下さる親御様も増えてきました。
「え、塾長こんなに子供たちのこと考えてくれてるんだ・・」
「勉強だけでなく、心をきたえてくれているですね。。」
こんな声が多くなってきました。
でも僕は、普段の塾での授業と同じことをメールで言ってるだけ。いつも言うことは、同じだ。
今回のメール配信は親御様にもあてている、僕の子供たちへの指導が、ダイレクトに親御様にも伝わるのだ。
意外なところで、僕の指導を知ってもらえたのだ。とても良かった。
お父様、お母様からのメールを読むと、塾がなくとも、きちんと宿題をして、家の手伝いをして、単語を覚えている。
本当に、僕は嬉しかった。なかなか出来ることではないと思った。
本当に、子供たちに普段から愛情を持って、厳しくしておいて
良かったと思った。
本当に、子供たちの事を思うからこそ”ゲキ”をいつも飛ばしている。
時には、かなりキツイことも言っている。
でも、子供たちは、そんな僕の言葉を聞くと気が引き締まってくるのでしょう。
遠征授業はどこの教室に行っても、みんな大喜びしてくれました。
でも、各地の子供たちをみていると、ますます河原塾生に会いたくなって
きてしまいました。
そして、最後に28日に名古屋で、授業をしているときのこと、
「30日の茨城空港行きの便は欠航になった」という、とんでもないメールが入っていた。
なんということだ!
4/1からは、河原塾の春期講習が、始まるのだ。
まずい、すぐに31日の便を捜すが、なんと4/3まで
全てが欠航になってしまったのだ。帰れない・・
絶望的になってきたのだが、ふと3/29を見てみると、空席が
偶然にもあったのだ。
もう、これで帰るしかない。
すぐに、航空券を押さえて、急遽次の日に帰ることにする。
そして、春期講習が始まり、4/1、2と驚くことが起こる。。
それは、塾長不在の家庭学習にて、塾長のメールだけで
ほとんどの生徒が、宿題をしっかりこなし、自分に課せ
られたの仕事をしっかりやり切ったことである。
きちんとやらないと終わらない量を、子供たちは、毎日
しっかりやった。こんなに出来るなんて凄い。
いつもの宿題より、はるかにしっかり出来ているのだ。
今回の、震災後の7日間、そして関西をまわった14日は、
僕にとっては大きな出来事でした。
お子様にとっても、そして親御様にとっても。
河原塾の生徒たちは、やはり日本一だった。
そして、何よりも、今回の僕の「遠隔指導」を、しっかりサポートしてくれた親御様に、お礼を言いたいのです。
ありががとうございました。
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