2016年4月5日火曜日

LD+ADHDの子

教室に、LDとADHDを持つ中1の子が来た。

「学習障害(LD)」
「注意欠陥/多動性障害(ADHD)」
ということで、それらは一般的に認知されていると思います。

彼の通知票を見せてもらうと、次のような項目があり、各項目の目標が書いてあります。

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基本的な生活習慣
・時刻を意識し、時間に合わせた行動ができる。
・授業の準備や後始末、机の中や周囲の整理整頓が出来る。

社会生活
・落ち着いて話を聞き、とりかかりを早くすることが出来る。

運動機能
 ・いろいろな運動に進んで取り組む事ができる。

教科学習
・授業中、一定時間集中して課題に取り組むことが出来る。
・姿勢に気をつけて、丁寧に文字を書くことが出来る。
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 ちょっと待って下さ〜い!

小学生上がりの普通の中1の子が、上の項目を満足に満たしているのなんて、30年近く子供たちを見てきても、一度も遭遇したことないのですが・・

いったい、何をそんなに”道徳”して、形作っているのかと思ってしまうのは僕だけでしょうか?

僕自身、この票の半分以上出来ていません。笑
大人だって、初めからアウトな人も、少なくはないのでは?笑

こんなことが、しっかり出来るように、何らかの病名を強引?につけられてしまった子たちは、学校で社会の一部になれるように、こうして教育されていくのでしょうか?

「教育」という根本的な概念を、取り違い得ているとしか僕には思えません。

どうしても、教育というと、他人に迷惑をかけないで自分のことは自分でやって、生きていける。」というところテーマにしているように思えます。

僕がテーマにするのは、他人に何かを提供出来る人間になれるように、その子の可能性を引き出すのが教育だと思っています。

僕は、この子と会って話してとっても嬉しい気持ちになった。
凄く純粋な心が伝わってくるからです。

その時その時を大切に生きていく。一瞬一瞬に生きている、まさしく僕たちが失ってしまった世界ではないでしょうか?!
自分の好きなことは、例え人が聴いてなくても、とことん言いまくったり、人が、普段見逃してしまったり、聞き逃してしまったりする光景や音が、鮮明に見えたり、聞こえたり・・

お母さまは言います。
「まだ、緊張していてこの子の本質が見えていません、慣れたらきっと、もっとひどくなるはずです。」

その時に僕は思いました。
この子は、僕の前では、今の状態から大きく悪くなることは無いだろうと、、

「悪くなる」ということは、例えば、自分の話を聞いてくれないとか、それなりの本人を取り巻く環境が彼にとって不快なだけ。
「良くなる」というのは、例えば、彼を道徳的な上辺の言葉ではなく、本当に心から向き合うことが出来るとか、その環境が彼にとって快適であるということに尽きるのです。

彼自身が、単独で良くなったり悪くなったりするわけではないということ。

通知票などには、彼の状態を書いて、良くなった悪くなったと、書いているようだが、まったくもって意味がないこと。

本当は、彼の事ではなく、”彼を取り巻く環境”を細かく通知したほうがいいのだ。

田中先生の時は、落ち着きがない、
渡辺君と居る時は、話が止まらなくなったりと、、
担任と居るときは、まゆげを抜きまくったり、とかだ。

人間は、誰しも周りがあって初めてその時の性質が確定するのです。
だから、学校ではうるさいのだが、塾では真面目にやるとか、よくあること。
どちらが本物かではなく、どちらも本物なのです。

最後にお母さまに告げました、
もしかしたら、一般的に言う、LDやADHDを改善するために僕のところに来てますか?

だったら、やめたほうがいい、、、
もっと顕著になるかもしれませんよ。笑

だって僕は、まさしくこういう、今に生きる、一般の子たちに欠けている凄い素質を持った子を育てようとしているのですからね!

次に彼に会うのが、また楽しみなんです。

4 件のコメント:

  1. 聡明館 小山聡昭

    教師が決めた型に収まらない子は「悪い子」または「病気の子」!

    恐らく、いや絶対に、この「目標」のようにただおとなしく、教師の決めた「基準」通りの行動をしていれば、「良い子」って呼ばれるのだ!

    その子が病気の肩書がなければ、「何て躾の悪い子」で済まされ、病気と分かれば「仕方ない」で終わる。

    どれだけ、その子の本質を見ようとしたり、
    本当の力を引っ張り出すことから目をそらしているのだろう。

    大変申し訳ないけど、教師ってそんなことでも成り立ってしまうのか。
    だったらならなくてよかった!
    (私の場合は単に勉強が足らなくて成れなかっただけであるが…💦)

    河原塾超には足元にも及ばないのは承知であるが、私も自分の塾で、塾生をいつも見ていたい!そんな「肩書」も「先入観」も「偏見」も一切なく。

    ただ子供たちを。

    どこに、この子の凄さがあるのか、素晴らしさがあるのか。
    いつもそうしていたい。

    そういうのが「教育者」と河原塾超に教わった!

    そして、何より、どんな子でも、みんな良い子だ!そしてみんな可愛い!
    子供達を見ているとワクワクする!






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  2. ADHDのお子さんのブログを読ませていただきメールしました。
    塾超のお考えは、これぞ真の教育者だと鳥肌がたちました。
    学校の先生が期待することは何もできず、成績も悪く、友達にいじめられ、「空気が読めない子だ」「良くも悪くもない」などと言われ続けて小学校時代を終えた娘は、自分がなぜ生きているのか、なぜここにいるのか混乱しきっていました。(学校だけでなく、私の支配もありましたが)
    しかし、今塾超のもとで勉強を始めて、本当に少しずつ前を向いて生きることができるようになりました。そして私達家族もアドラー心理学を基盤にした塾超の理念に惹かれ、親子関係が縦の関係ではなく横の関係へと変わりました。きっと今日来られた中1のお子さんも、これから自由に羽ばたいて生きていけると思います。
    子供が大人の勝手な評価に振り回されず生き生きと生きていけることが幸せな社会なんだと思います。そしてKJ生は幸せな社会を作り出せるまさに希望そのものだと思います。
    改めて、私達家族の転機となった塾超との出会いに感謝です。ありがとうございます。

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  3. 塾超

    いつも、お世話になっております。
    今日メールしたのは、どんぶらこの感想をアウトプットするためです。

    正直、うちの息子の事か?と思ってしまいました(笑)
    幼稚園の頃から、頻繁に先生から呼出しがあり、小学校低学年の時には、特殊学級を勧められたこともありました。

    同級生のお母さん方が「男の子ってこんなもんだよ、先生が型にはめようとしてるから、気にしないほうがいい!それに、今の子供達は元気なさ過ぎ!」
    と、息子の日々の頑張りを認め、見守ってくれました。

    中学校では自分の気持ちを押し通し、周りから誤解されることも多々ありましたが、理解ある先生方に恵まれ、小学校の頃に比べて学校から呼び出されることも少なくなりました。

    塾超が息子の変わっている所を認めてくださって、どれほど私が救われたことか!!!

    勉強に関係のないメールを送っても、
    塾超は相手をしてくれて本当に有り難い事です。

    合宿で冷えピタを貼っても、エレベーターの中で朝学をしても叱らないでくれたことに感謝しております。
    KJ生になって自分に自信が持てるようになってくると、字も丁寧になってきてビックリしています。

    息子にとって、塾超との出会いは本当に素晴らしい出会いだったと思います。また、KJの仲間にも恵まれたと思います。

    明日は入学式です。新学期はいつも、学校から呼び出されたりするのですが、KJ生としての初めての新学期、きっと大丈夫、だと思っています。

    息子を育ててきて思ったことは、本人をなんとか型にはめるのではなく、周りがどれだけ対応できるか?
    ではないかな?と。

    いつも、ありがとうございます。

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  4. I feel something in myself. Just moved like a ship on the ocean.

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