2016年1月27日水曜日

受験は単なる運!?

いよいよ今年も、受験本番が近づいています。

学校、その他教育現場、そして親は、受験というものに対して熱く語る人がいる。

・やれば出来る!
・不可能に挑戦せよ!
・自分(の未知の力)を信じよ!
・夢を持て!

でも、子供たちの中には、そんな力強い言葉を聞けば聞くほど不安な気持ちになり、
悩み、何も手につかなくなることも、、

そんな、上辺の言葉なんて何の役もたたないようです。言ってる側は気持ちいいだけ。
だって、子供たちは「自分の(未知の)力」なんてどこにあるのか分からないし、分からないものなんて、到底信じられないですから。
未知の力とやらをしっかり見せてくれる教師でもいれば、それも可能でしょうが。。

僕は、約30年間、子供たちを塾で教えながら「受験」というものを、様々な角度から
見てきました。自分は、子供たちに対してまっとうな教育をしているなんて、これぽっちも思っていません。 むしろ、そういうお決まりの言葉の教育に逆行してきたと思います。

長い間、そのような”熱い言葉”を鵜呑みにした多くの子供たちが、どんどん歪んでいくのを真実をぶつけ、助けてあげたい気持ちでした。

そして、今、勝手に思う事があります。

そういう熱い言葉には、受験は自分の力(努力)で何とかなるものだというニュアンスが含まれているということです。それこそが、大きな勘違いだと僕は思うのです。

受験というものは、そんな誰かが放った感情たっぷりの理想論でも何でもなく、
常に「非情」だということ。

拙著にも、それを書き続けています。
「本番だけ出来ない悪夢。」

そして、どんなに強く意思を持って勉強したってダメな時もある、という「非情な現実」

だったら、そんな受験と、どう向き合えばいいのでしょうか?
子供たちには、どう伝えればいいのでしょうか?

そろそろ、本当の事をしっかり伝えたほうがいいと思うのです。
これは、今僕がやっている”ブッダクラス”にも、通じるものでしょう。

大学受験を目の前にした子には、塾超コーチングにてもうそれを知りました。
みな心が軽くなったといいます。少なくともKJの子供たちにはしっかり届くと思います。
でも一般的には、まだまだ遠いかなあ、とも思います。

今度は、高校受験を迎える中学生に話してみました。動画も一般公開しています。
さあ、あなたは、これを聞いてどう感じますか?




参考・京大生ばっしーの話・ダイジェスト必聴版

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