数日前、岐阜から帰る時にあった感動した出来事についてお話します。
僕は高山本線で名古屋に向かっていました。
僕と、通路を挟んで斜め前には老人が1人、座っていた。
隣は誰もいない。白いワイシャツを着た70台後半〜80台の老人だ。
途中駅で、中年おっさんAとBの2人組が乗ってきた。
ふたりは、座っている老人のところの列に近づき、「ここだ!」と
座ろうとした時に、その老人が既に自分たちの席に座っているのに気付いた。
あれ?という顔をして、もう一度、自分の切符を確かめる。
老人は、知らん顔・・
「あのう、ここのチケットを持ってるのですが・・」
と、笑顔で尋ねる。
とりあえず、Aが、もうひとりのBを、空いてる老人の隣席に座らせた。
Bは、何かムッとした感じでとりあえず着席したが、Aは座れない状態。
さて、老人が、そのAに、主張する。
「ここは、車掌さんが、自由席で、座っていいと言われたところだから!」と言ってるのだ。
(ちなみに、その席は、グリーン指定席)
もちろん、席を退くつもりはないようだ。
僕は、斜め前の出来事を一部始終見ていた。
どう見ても、指定席券を持っている中年A,Bなのが正しいのは一目瞭然。
でも、老人はどかない、、どうするのか?
老人は「だって、ここは、車掌さんに言われたのに、どうしてここに座って悪い!」
と主張する。そのAは、何と微笑んで言ったのだ。
「分かった、分かったよ。」と両手で老人をなだめながら、
そして言った言葉は、
「でも、僕は(指定席のチケット持ってるし)間違いないと思うんだけどなあ。。」
「じゃ、車掌さんに聞いてみようか!」
と笑顔で言ったのだ。
数分後、車掌さんによって、全てが解決したのは言うまでもない。
その老人、立ち去る時に、ひとこと残していった。
「どうも、ご迷惑かけてすみませんでした。すみません、、、」
その老人は、申し訳なさそうに去っていったのです。
そして、中年A、Bの席にその後、車掌さんが来て、深く礼をした時も、
笑顔で、「はい、もういいですよ。」と軽くかわしたのだ。。。
この場面を見ていて、僕は、自分に問うてみた。
さて、あの場面で、自分は、あの中年Aのような対応が出来るだろうか?
どうだろう・・・
出来るだろうか?
自分の席に、他人が既に乗っていた。
しかも、何と「自由席」だと言って。
自分は、グリーン車の指定チケットを持っていたとする。
相手は、その自分の席に、しっかり座っているのだ。
この会話で僕の琴線に触れたのは、中年Aのあの「言い方」である。
言葉の使い方がうますぎる。密かに感動してしてしまうのだった。
会話の仕方がうますぎる。
ポイントは、彼は全ての会話で、「相手を責めていない」のだ。
普通だったら、「ここは私の席、自分はチケットを持っている、だから、私は正しい、あなたが間違っている!」
という論理になるのだろう。
彼の言い方は、そうじゃなかった。
「僕は、間違ってないと思うよぉ。(笑顔)」なのだ。
それが、とても自然な言い方で見ていて気持ちいい。
あなたが、間違っているいない、ではなく、僕は間違っていないと思う、と「自分の知る事実」だけを相手に告げたのだ。このふたつは、同じ意味が含まれるが、まったく違う。
「僕は、間違っていないと思う。」は、決して相手を責めていないのだ。
ただ、自分は正しいはきちんと主張はしている。
例えば、「この車両はグリーン車だから、(普通席の人は、お金も払ってないのに)座れないんだよ。あなたがここにいること自体、間違っているんだよ。」などということは言わない。
相手の言動、行動までを決して否定していないのだ。
ここがポイント高いのだと思う。
僕たちがエゴを丸出しにして普通に言えば、恐らくほとんどは、何らかの言い方でも、
「あなたが間違っている」を強調するのではないだろうか。
しかも怒りを込めて強い口調で。
中年Aは、終始笑顔で余裕をもって対応していた。しかも相手を責めること無く、じゃ車掌さんにきいてみようと。ずっとその場に立ったままでだ。
そして、最後には、その老人は、しっかり自分の非を認めて、丁寧に礼をして帰っていったのは、彼の言い方が、ああだったからなのだろう。
僕は、感動した。
そして、あのような対応を自分もとれるようになりたい、と心に誓ったのだった。
話は、終わりではないのです。。
その後になって、判明したことが・・・
今回の話の中心自分物の、中年ABは、
座る時にムッとしていたBが、演歌界の大御所、大●栄作 本人。
そしてAが、そのマネージャーだったのです。
僕は、その事をまったく知らずに見ていたので、すごくフラットな感覚で見ることが
出来ましたが、有名人のマネージャーさんだったから、あのような対応が出来たのか・・・
それとも、あの人は、単独でもあのような言葉を発する人なのか?
新たな疑問が生まれたのは言うまでもない。。。
ただ、僕は、感動させられてしまったのに違いはなく、あのような言動を、自分の地位や職業などに関係なく、自然に発するような人間になりたいと思った。
そんなアバンギャルドな帰路でした。