今から、もう5年前の2012年2月12日、僕はトンデモナイことを、こどもたちに企画していたのです。
それは、日本一の高校である、開成高校(偏差値78)への一般からのありえない受験でした。そう、ありえない頭脳明晰エリート集団です。
「開成高校を受ける」と周りに言い始めた時に、とにかく驚いたのは、やはり学校の先生や塾を含めた教育関係者でした。
さらに友人からも、呆れた言葉を浴びることに・・
「マジか?」
「冗談も休み休み言えよ。」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ、あの学校はな・・・」
ご存知の通り、開成高校というのは、幼少期の頃から英才教育を受けるなどして、十分すぎる準備期間が必要なのです。なにせ日本一の高校への受験は半端ないのです。
彼ら公立中の1位集団をもってしても、それは不可能に近いことなのです。
それをあえてやろうと思い立ったのが、前年2011の開成高校へ出向いた文化祭の視察。
そこには、彼らを本当に釘付けにしてしまった光景が展開されていました。
各教室では、生徒たちが真剣に”折り紙”をやっていたり、他人がみたらバカじゃないかと思われるような”研究”、そして様々な”遊びやゲーム”を、本当にマジになって真剣に取り組む姿でした。
そして、何事にも真剣にやっている姿に、大きく心打たれたKJ生たちが、開成高校を自分たちが受験してみたいと真剣に思ってしまったのが事の始まりだったのです。
しかし、帰ってからしばらくして学校に受験の意思を伝えたところ、一番ショックな言葉が待っていました。
「どうしてそんな無駄なことをするんですか?」
この言葉を発したのは、受験する子の学級担任、主任の言葉でした。
僕は、開成高校に”合格”させるために彼らの受験をバックアップしたわけではないのです、かと言って思い出に残す「記念受験」をさせるためでもないわけです。
彼らは、あのものすごい開成を受ける子たちと、真剣に受験の「場」を共有したいと思ったのです。
無駄なことには意味が無い、だからしない、出来ないことはしない、と思うのが一般的な考え。そう、、出来ないともう決め込んでいる。
開成の場合は決め込んでいてもいい、確かに出来ない(合格)のは事実レベル、99%無理でしょう。
でも、そこに向かって少しでも、前進していくということが大切な課題なのです。
危険を冒しても通過点を進んでいることを意識してもらう。
そして、これから様々な難関にブチ当たって行く彼らに、そんな無駄な重要性を感じてほしかったのです。
どんな事でも、そのカタチ、名前に怯まずに、自分のすることを着実にやっていく事が、何よりも大切だということを伝えたかったのです。
全ては単なる「通過点」であり、それを無駄と決めつけるのではなく、自分に課された事を毎日しっかりやっていくことが、最も大切なんだということ。
開成視察の時点で10名、合格できないよと言われ続けても、最後まで気持ちを捨てずに残ったこの勇者たち4名。
僕が本当に告げたかったことは、どういう受験であれどういう難事であれ、感情や妄想に負けることなく、自分がしなければならないことを黙々と熟せる力を磨くということでした。
恐らくステレオタイプな大人も子供も、この受験を理解することは出来ないでしょう。
合格出来ないものに挑む、そんな分かり切ってることをして、いったいどういう意味があるのか?
でも、彼らは、受験まで可能な限り、あらゆることをやり切った。
分かり切ってることを自分のためにやれるだけ本気でやる。
記念受験じゃないんです。単に「合格」という二文字を引き換えに貰うための、条件付き受験じゃないんです。
ただただ、彼らは受験に向かって真剣に取り組んだのです。
そこから何が得られるのか、、「合格」より大切な何かを得られるのだろうか。
たとえ、全 員 不 合 格 だとしても。
では、5年前にタイムスリップして下さい。(4本)
それは、日本一の高校である、開成高校(偏差値78)への一般からのありえない受験でした。そう、ありえない頭脳明晰エリート集団です。
「開成高校を受ける」と周りに言い始めた時に、とにかく驚いたのは、やはり学校の先生や塾を含めた教育関係者でした。
さらに友人からも、呆れた言葉を浴びることに・・
「マジか?」
「冗談も休み休み言えよ。」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ、あの学校はな・・・」
ご存知の通り、開成高校というのは、幼少期の頃から英才教育を受けるなどして、十分すぎる準備期間が必要なのです。なにせ日本一の高校への受験は半端ないのです。
彼ら公立中の1位集団をもってしても、それは不可能に近いことなのです。
それをあえてやろうと思い立ったのが、前年2011の開成高校へ出向いた文化祭の視察。
そこには、彼らを本当に釘付けにしてしまった光景が展開されていました。
各教室では、生徒たちが真剣に”折り紙”をやっていたり、他人がみたらバカじゃないかと思われるような”研究”、そして様々な”遊びやゲーム”を、本当にマジになって真剣に取り組む姿でした。
そして、何事にも真剣にやっている姿に、大きく心打たれたKJ生たちが、開成高校を自分たちが受験してみたいと真剣に思ってしまったのが事の始まりだったのです。
しかし、帰ってからしばらくして学校に受験の意思を伝えたところ、一番ショックな言葉が待っていました。
「どうしてそんな無駄なことをするんですか?」
この言葉を発したのは、受験する子の学級担任、主任の言葉でした。
僕は、開成高校に”合格”させるために彼らの受験をバックアップしたわけではないのです、かと言って思い出に残す「記念受験」をさせるためでもないわけです。
彼らは、あのものすごい開成を受ける子たちと、真剣に受験の「場」を共有したいと思ったのです。
無駄なことには意味が無い、だからしない、出来ないことはしない、と思うのが一般的な考え。そう、、出来ないともう決め込んでいる。
開成の場合は決め込んでいてもいい、確かに出来ない(合格)のは事実レベル、99%無理でしょう。
でも、そこに向かって少しでも、前進していくということが大切な課題なのです。
危険を冒しても通過点を進んでいることを意識してもらう。
そして、これから様々な難関にブチ当たって行く彼らに、そんな無駄な重要性を感じてほしかったのです。
どんな事でも、そのカタチ、名前に怯まずに、自分のすることを着実にやっていく事が、何よりも大切だということを伝えたかったのです。
全ては単なる「通過点」であり、それを無駄と決めつけるのではなく、自分に課された事を毎日しっかりやっていくことが、最も大切なんだということ。
結果の妄想よりも、今の行動を取れるかどうかということ、
「偏差値78の開成高校受験」と聞いて、動けるかどうか、
開成視察の時点で10名、合格できないよと言われ続けても、最後まで気持ちを捨てずに残ったこの勇者たち4名。
僕が本当に告げたかったことは、どういう受験であれどういう難事であれ、感情や妄想に負けることなく、自分がしなければならないことを黙々と熟せる力を磨くということでした。
恐らくステレオタイプな大人も子供も、この受験を理解することは出来ないでしょう。
合格出来ないものに挑む、そんな分かり切ってることをして、いったいどういう意味があるのか?
でも、彼らは、受験まで可能な限り、あらゆることをやり切った。
分かり切ってることを自分のためにやれるだけ本気でやる。
記念受験じゃないんです。単に「合格」という二文字を引き換えに貰うための、条件付き受験じゃないんです。
ただただ、彼らは受験に向かって真剣に取り組んだのです。
そこから何が得られるのか、、「合格」より大切な何かを得られるのだろうか。
彼らだけが、今それを実感しているのです。
では、5年前にタイムスリップして下さい。(4本)